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お墓職人の思い ~矢田石材店社長 矢田敏起~

亡くなった方への施主さまへの想いを忘れてはいけない
私たちはその想いを形にするお手伝いをしているにすぎません

矢田敏起イメージ私は愛知県の岡崎市にある矢田石材店の長男として生まれました。
とはいっても、すぐに家を継いだわけではありません。他の石材店で修行をしたあと矢田石材店の社員になり、その間さまざまな経験を積んでから、三代目として家業を受け継ぎました。
修業時代から、私はずっと感じていたことがありました。
それは、同業者に対する「あの人たちは間違っている」という想いです。

 

あなたの周りには、お墓を建てた方はどれくらいいいますか。おそらく、家を建てた方ほど多くないのではないでしょうか。たとえばお墓を建てようと思ったとき誰かに聞こうと思っても、的確にアドバイスをしてくれる人はいないでしょう。だから、墓石を売る石材店や墓地任せになってしまいがちです。
ところがそれをいいことに、この業界では嘘とごまかしが横行していたのです。墓石の細かい説明をしないばかりか、外国産の安物の石を日本のブランド石と偽って販売したり、お客様の足下を見て値段を決めたり、むちゃくちゃでした。修業時代にいたある石材店では基礎も打たずにお墓を建てていて、基礎の準備をし始めた私を怒鳴るようなこともありました。このようなことは、当時の墓石業界では当たり前のことだったんです。
「これは絶対におかしい!とにかく早く一人前になって誠実な墓石屋をやろう」と思っていました。その想いが、お墓職人である私の原点です。

 

お墓を愛している職人、それが「お墓職人」

この業界には「石職人」という言葉があります。「石を加工できる人」という意味なのですが、私はこれをお墓と結びつけるのがいやでした。石が加工できるからお墓をつくるのではなく、お墓を愛しているから石を加工して墓石をつくるのです。ですから、私の考える「お墓職人」というのは、「お墓を愛している職人」のことなのです。

そもそもお墓というのは、死んだ人とのつながりをなくさないためのものです。墓石屋という職業ができる前から、存在していました。石がお墓になるわけではなく、故人を供養するための場所がお墓なんです。ですから、もしお墓がなくても供養できるなら、墓石屋はいらない、私はそう考えています。
けれど、人は愛する人が死んでしまったとき、その人を思い描くための形がほしい、そのためにあるのがお墓だと思うのです。ですから、残された人が亡くなった方への想いを形にする、そのお手伝いをするためにお墓をつくり、自分の建てたお墓は生涯かけて守る、そう考えてお墓に向かうのが、私が考える誠実な墓石屋であり、矢田石材店のお墓職人なのです。
矢田石材店の初代お墓職人は、祖父です。祖父は晩年糖尿病を患っていましたが、それでも死ぬ直前まで毎日のように自分の建てたお墓を回って、きれいに磨いていたそうです。「すげえじじいだな」と思いましたよ。まさに死ぬまでお墓を愛していた職人です。
矢田石材店には10年保証というアフターサービスがありますが、「私にはじいさんの血が流れているんだから、10年なんていわず、自分の建てた墓は一生面倒を見る」そう決めたんです。

 

先祖代々、石工の家系。でも、順調だったわけではない

矢田の家系は先祖代々、石工という石を加工する職人で、祖父の代に石材店として店を構えました。父の代で石材店を相手に高級な石を売る卸専門になり、石材店のために石を仕入れ、墓石に加工して販売していました。しばらくは好調でしたが、手を広げようとして失敗、多額の借金が返せなくなり、矢田家はすべてを失いました。私が27歳の時です。
それでも、代々続いてきた墓石屋のせがれとして、ここで終わりにするのはどうしてもいやだった。そこで私が店を継ぎ、三代目となりました。

とはいえ、店もなく機械もない、何もかも失ったゼロからのスタートです。あるのは以前建てたお施主さまのお墓だけ。
妻や子供もいる身なので、「何とかしなければ」という思いを抱えながら、毎日墓地へ足を運びました。妻には大変な苦労をかけることになりましたが、当時の私にできるのは、そのお墓をきれいに掃除することだけでした。
そんな生活は2年ほど続きました。少なくとも1,000基のお墓を洗ったと思います。

 

お墓洗いに明け暮れた2年間は、私の貴重な財産

その間には、お墓参りに来た方が、「何をしているの?」と声をかけてくださることもありました。そんな方のお墓を無料で洗って差し上げたり、墓石の傾きを直して差し上げたりする中で、お施主さまのお墓への想いや悩みをお聞きしたりすることも、たびたびありました。

実はお墓づくりに携わる石材店の中には、ほとんど施主様とのおつきあいがなく、高価なお墓であっても「建てたら終わり」というケースは、驚くほど多いのです。ですからいろいろなお施主さまとふれあう機会を持つことができ、さまざまなお話を聞くことができたのは、私の財産だと思っています。
中には「お墓を建ててほしい」というお施主さまもいらっしゃって、ぼつぼつと仕事をいただけるようになってきました。
また、信頼できる葬儀屋の知人もでき、その伝手で仕事も順調に回るようになり、ようやく店を持つことができました。
ところが、軌道に乗り始めた4年目に、当時の店があった場所から立ち退きを迫られたんです。築き上げたものを再び失ってしまうことになりましたが、今回は全くのゼロからのスタートではありません。経験も積みましたし、お施主さまの気持ちもお悩みも知ることができ、その上で、私自身がお伝えしたいこともはっきりしてきました。そこで、コンテナによるお墓の展示場をつくることから始めたのです。これが、現在の矢田石材店のスタートになりました。

 

母のお墓に手を合わせることで、成長することができた

私が三代目を受け継ぎ、先の見えない2年間のお墓洗い生活を乗り切った原動力は、母のお墓にあります。
私には生みの母と育ての母がいますが、二人とも私が幼い頃亡くなりました。とくに生みの母が死んだときは現実を受け入れられず、お墓参りに行くこともできませんでした。お墓へ行ったら母を思い出してしまってつらいから、逃げていたんです。
でも、そんな自分が間違っていることに、ある日気づきました。そもそもお墓は、死んだ人を思い出すためのものだからです。死の悲しみはいつかは癒えます。けれど想いは消えることはありません。ただ幼い私にとって、悲しみが癒えることは同時に母が消えてしまうことでもありました。けれど、時がたつにしたがって「いつまでも逃げていてはいけない。母の死と向き合うべきだ」と思うようになりました。そうして私はお墓に行き、手を合わせました。そこで母が残してくれた、最後の大きなプレゼントに気づいたのです。それは、母は死によって私を人間として成長させてくれたということです。母の死を考えることで、現実に向き合う強さを身につけることができたのです。
そのことに気づいたとき、母に感謝しました。そして、その母を産んだ祖母や、たくさんの先祖にも感謝できました。
このことがあったから、私は自分の置かれた運命や現実から逃げることなくきちんと向き合い、先の見えない2年を乗り越えることができたのだと思います。ですから、今でも感謝の気持ちを込めてお墓に手を合わせています。

 

お墓参りは、子供たちにとっての一番の教育になる

お墓参りをして手を合わせるということは、「そこに先祖がいる」ということをイメージすることでもあります。私の場合もそうです。母がそこにいると思うから、折に触れて近況報告をしています。報告できないような恥ずかしいことはしたくないから、一生懸命に生きようと思うのです。
人は誰も見ていないと思うと、悪いことをしてしまうものです。でもいつも祖先が見ていると思えば、悪いことをする前に思いとどまるはずです。お墓参りをして、そこに祖先がいる、「おばあちゃんやおじいちゃんが見ている」と思えば、子供も悪いことをする手が止まるんじゃないでしょうか。
昔は家族が多く、どこかで大人が子供を見ていたものです。でも今は親子も兄弟も、生活リズムが違ったり、それぞれに部屋を持っていたりして、家族がばらばらです。子供を見ている大人もいません。
正しい心を持った子供を育てるためにも、ぜひお墓参りに連れて行く習慣をつけてほしいと思います。

 

亡くなった方のことを想いながら、お墓をつくることが最大の供養

 

矢田敏起イメージ私は、お墓を建てる方には、お墓のことをよく知って、納得してからつくっていただきたいと思っています。そのために、お墓についての疑問にお答えすることができる、お墓体験コーナーをつくりました。
お墓は一生に一度あるかないかの買い物です。ですから「はじめてでなにもわからない」というのは、当たり前のことなんです。でも残念ながら、そのような疑問や不安がないがしろにされてしまうのが、墓石業界です。 言われるがままにお墓を建ててしまい、「良かったのか悪かったのかわからないけれど、建てたからとりあえず終わった…」。そんなことでいいのでしょうか? 一生手を合わせるお墓なのに、「なんとなく流されて買った」「わけがわからないうちに、お墓を建て終わっていた」なんて、亡くなった方もご家族も、こんなに不本意なことはないでしょう。
亡くなった人のために、その方を思い出しながらご家族の皆さんでじっくりと話し合って、お墓をつくりあげていく。その課程こそが、最大の供養になるのだと私は思っています。

 

ですから、私は皆さんに決してやってほしくないことがあるのです。それは、生前にご自分でお墓の準備をすること。遺影をとったり、デザインをしたり、お墓を建ててしまったり、中には生前葬をする方もいますが、私は絶対に反対です。
そんなことをしてしまったら、残された家族がやるせないと思うんです。葬儀をしたりお墓を建てると言うことは、死者を弔うだけのものではありません。残された人が、亡くなった人への感謝の気持ちを形で示したいというものでもあるのです。そしてその課程は、残された人の悲しみを少しずつ癒していくことにもつながるのです。

 

私はたくさんのお施主さまと出会い、さまざまなお話をお聞きしました。その課程やできあがったお墓はさまざまですが、共通しているのは、亡くなった方に「何かしてあげたい」という強い想いです。だから、一生懸命お葬式やお墓づくりをなさっているのです。

たとえば、若いお施主さまは何もわからないところから始まって、悩みながら、葛藤しながらお墓を建てていきます。でも、できあがっていくまでの課程で気づくんです、亡くなった人に対する愛や、その方が残していった家族に対する愛情に。だから、悲しいし、切ないし、苦しいんです。

 

私は、死後のことは何も望みません。子供たちを信頼しているからです。
親が死ぬということは、子供に与える最後のプレゼント、成長の機会なんです。子供は、親の死と向き合い乗り越えることで、何かを得るはずです。その結果、子供たちがどんなお墓をつくってくれるのか。それを楽しみにしながら、お施主さまと一緒にお墓を守るお墓職人として、精一杯がんばっていきたいと思っています。

 

矢田が出演している動画です 「矢田石材店が掃除にこだわる理由」