スタッフ紹介

代表 矢田 敏起亡くなった方への想いを忘れてはいけない
【プロフィール】 愛知県岡崎市出身。先祖代々石工の家系である、矢田石材店の長男として生まれる。 【著書のご紹介】
お墓参りにおける作法や守らなければいけないルール、効果の上がる参拝方法などを紹介するとともに、お墓参りが人間の心にどのように作用するか、どのような良い影響を与えるかを一冊の本にしました。ご興味がある方はぜひご覧になってみてください。 |
お墓職人 やた(弟)
私の信念は、頑丈なお墓をつくることです。
より良いお墓をつくるためには、研究や努力を惜しみません。
私の信念は、頑丈なお墓を作ることです。そのための研究や努力を惜しみません。
矢田石材店に加わる以前は、建築専門の大手石材店で修業し、様々な石材加工技術を体得しました。工務店で修業をしていたときには、建築物の構造について学びました。こういった経験を活かし、現在では、毎年100基を超えるお墓の建立に携わっています。私たちお墓職人は、自分たちの仕事に責任を持つため、お墓が完成してからも、お墓のことを気にかけています。
継続的にメンテナンスを行うだけではなく、お墓が古くなることで起こり得る石材の傷みや、結合部の不具合などを常に研究し、改善を目指しています。より頑丈で、「お墓を立ててよかったなぁ」と思ってもらえるようなお墓づくりに努めています。
【プロフィール】
愛知県岡崎市出身。矢田石材店の二男として生まれる。
小さい頃から父、兄の背中を追いかけて育つが、家業を継ぐ前に、自分自身の力を試すため、高校時代は競艇選手を目指して体を鍛え続ける。しかし高校卒業後、視力が低下したため、断念。
その後、大手石材店や工務店で修業した後、矢田石材店に入社。現在は、お墓職人として、毎年100基以上のお墓づくりに携わっている。
お墓職人 やた(父)
今の矢田石材店の原点は、
死ぬ直前までお墓を磨き続けた初代・金次の背中にあったのかもしれません。
「矢田石材店は、私の父、金次が昭和30年に興した石屋です。実は、金次以前も、矢田家は代々石工の家系で、定住しない流れ石屋のはしくれでした。石工はもともと移動の多い職業で、古くは戦国の世、築城のため各地を転々とし、城をつくっては移動、また城をつくっては移動するという生活を続けていました。
しかし、江戸時代になり世の中が平和になると、城をつくるという仕事はだんだんと必要とされなくなり、石工の仕事は石仏や石灯籠をつくることに変わってゆきました。私たちのご先祖もそんな石工のひとりだったのでしょう。そしてこの岡崎という地に流れ着き、岡崎の石に魅せられ、この地で石を叩き続けていたのだと思われます。
私がこの矢田石材店を継いだとき、私はまだ大学生でした。父金次が急な病に倒れ、53歳の若さでこの世を去りました。父は本当に動けなくなるその時まで、毎日お寺に通い、自分が建てたお施主さまのお墓を、力の入らない腕で磨き続けていました。 今の矢田石材店の原点は、死ぬ直前までお墓を磨き続けた初代・金次の背中にあったのかもしれません。
お墓をつくる技術的なことは、年を重ねれば追いついてきます。しかし、このお墓を大切にするという心は、年を重ねるごとに慢心が起こります。私たちの世代は戦後、がむしゃらに生きてきました。日本人が本来持っている、何か大切なものを失ってしまったかもしれません。
まだ間に合います。次の世代に伝え、そして守らなければなりません。
合掌
【プロフィール】
愛知県岡崎市出身。矢田石材店二代目。大学生の頃に、父親が急な病に倒れたため、後継者として、矢田石材店に入社。以降、多くの墓石建立に携わり、現在もなお、毎日、現場作業を行う生粋のお墓職人。
お墓職人 やまだ
すべての仕事の先には、お墓づくりを私たちに託して下さった、お施主さまがいるということを常に意識しています。
私の会社内での仕事は、裏方仕事と自認しています。
会社の方針で、若い職人たちに責任ある仕事を任せることにしていますので、私は彼らの成長を見守りながら、伝えられることを伝えています。
ただ、私たちの仕事は伝えると言っても、言葉で表わせるものばかりではありません。
彼らに背中を見てもらい、考え、行動し、感じてもらえたらと思っています。そして、すべての仕事の先には、お墓をつくることを私たちに託して下さった、お施主さま達がいるということを常に意識できるように。
お墓をつくる職人の仕事はすべて裏方です。
決して自分達のためにではなく、人さまのために。
私自身もまだまだ半人前ではありますが、生涯現役を目指して頑張りたいと思います。
【プロフィール】
愛知県岡崎市出身。地元の学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊し、防衛庁警備隊に所属する。退職後、地元企業でもある矢田石材店に入社。以後お墓職人として腕を磨き、現在は後進の指導にも従事。経験豊富な人生訓を若手職人に伝える傍ら、自らも新しい技術習得に余念がない。どんな仕事でも粘り強く、完遂させる【責任感の塊のような男】。機械操作に明るく、キャタピラ車、バックフォー、クレーンなどの操作を買って出る。故障した車両や機械の修理も得意で、新しい加工道具などの発案も多い。若い職人たちやお客さまからの信頼は絶大で、「山田さんが現場にいるだけで安心できる」と話される方も少なくない。顔にもにじみ出た、人生経験豊富な厳つい外見からは想像しがたいが、意外とお茶目。
お墓職人 なかやま
毎日お参りしたくなるお墓をご提案したいと思っています
私が以前勤務していた自衛隊は、【国民の生命と財産を守る仕事】でした。どちらかというと、【危険から身を守る鎧や盾のような仕事】。 今行っている仕事は、お墓を通じて【お客さまの心や想いを守っていく仕事】だと思っています。【寒さから身を守り、心が安らいでいく、お風呂や布団のような仕事】です。
お客さまの抱く、お墓への想い(=亡くなられたご家族、自分自身が歩まれた人生の集大成)を、実在の形で表現することは、とても難しいと感じています。なぜなら、十人いれば十通りの想いやイメージがあり、誰一人として、皆と同じで良いという方はいないからです。皆さま、【大切なあの人】のために、お墓づくりに臨んでいます。その想いやイメージをしっかりと受けとめ、形にすることが、仕事のスタートラインだと考えています。 そして、お客さまやそのご家族が、宝物のようにお墓を守ってくださり、毎日お参りしたくなる。そんなお墓をつくれるよう努めています。
【プロフィール】
岐阜県美濃加茂市出身。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。除隊時には、陸上自衛隊第一空挺団・通信中隊で無線通信手を担う。矢田石材店代表の矢田と同じ部隊という縁から、直接声を掛けられ入社。お墓職人の経験を経て、現在は墓石の設計・図面作成も行いながら、御来店された方々への接客が主な仕事。温厚な気質から、お客さまからは沢山の要望を頂ける、わがまま請負人。しかし、一旦引き受けた話は、どんなに困難でも、必ず達成する不屈の闘志を持つ。そして、自分が担当したお客さまの仕事は、可能な限り墓石の加工・設置も行うことが信条。 矢田石材店唯一の庵治ソムリエ。
経理 やた
お墓を建てることで、
悲しみや悩みから立ち直っていただくお手伝いをしたいと思っています
私たちは墓石を扱っている石材店ですから、お客さまは大切なご家族を亡くされた方ばかりです。矢田石材店の従業員は、そんなお客さまの気持ちに寄り添える者の集まりです。電話での対応ひとつとっても、お客さまの想いを自分のことのように考えて、お話をお聞きする。ですから、いろいろなところに問い合わせをしてもどうにもならなかった方が、「電話での対応がよかったから」「話を聞いてくれたから」という理由で、矢田石材店を選んでいただいたという話もお聞きします。
うちには営業マンがいませんし、押し売りもしません。それは、スタッフ全員が「お墓を売るぞ」というより「お墓を建てることで、悲しみや悩みから立ち直っていただくお手伝いをしたい」と考えているからです。
ですから、もし「矢田石材店のいいところはどこですか」と聞かれたら、私は自信を持って「従業員です」と言うことができます。
【プロフィール】
愛知県岡崎市出身。経理担当。2児の母。
お墓というと暗いイメージを持ち、お墓参りも好き好んでするタイプではなかった。しかし矢田石材店に勤務するようになって、イメージが180度変わり、今では子どもとともに日常的にお墓をたずね、墓地を掃除するようになった。
事務 こじま
お墓づくりのために私たちができること
それは、実際にお話をして疑問にお答えすることです
お墓のことは、わからないことがとても多いものです。どんなお墓にすればいいのか、何が必要なのか、何からはじめればいいのか。最近ではインターネットなどでいろいろ調べて、「お墓を買いたい」と思っているお客さまのお問い合わせも、とても多くなっています。
けれどインターネットなどで調べても、ご自分の納得がいく答えが出るとは限らないのではないでしょうか。疑問があったら、わかる人間から話を聞いたり、実物を見たり、ときには触れたりすることで納得し、解決できることも多いと思います。とことん話しあった上で結論を出していただきたいのです。
私たちはそのためのお手伝いは何でもしますし、ご相談にも乗ります。「押し売りをしない」ということをモットーにしていますので、たとえご契約にいたらなくても、お客さまのお墓づくりに対してできるだけアドバイスを差し上げるように心がけています。
【プロフィール】
息子夫婦との同居のために岡崎市に移転、孫の面倒を見る必要があるため、週末のみの勤務。週末はすべての事務、電話対応などを行う。
お客さまに接するときに気をつけているのは、言葉使い。お客さまは、ご不幸があって電話をしたり、訪問したりするので、事務的な対応はしたくないという。親身にはなるけれど、馴れ馴れしくないように、失礼のないように、けれど冷たくならないように、ということを心がけている。